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虹と睡蓮

埴谷雄高

NHKテレビで『死霊』の世界を五夜にわたって語り下ろし健在を告知した著者が、武田泰淳・百合子夫妻を悼みつつ「戦後文学の出発点」を跡付けた対話とエッセイを巻頭に、虹の光彩を遺して睡蓮の静謐へ遠く去った佐々木基一・藤枝静男・安部公房・駒井哲郎・大岡昇平ら亡友を哀惜こめて追憶し、戦中・戦後の自伝的な回想が「死」を想い「生」を論じる深夜の思索へといたるとき、自ずから『死霊』最終章への予告ともなる最新評論集。
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埴谷雄高

埴谷 雄高(はにや ゆたか、1909年(明治42年)12月19日 - 1997年(平成9年)2月19日)は、日本の政治・思想評論家、小説家。本名般若 豊(はんにゃ ゆたか)。 == 来歴・人物 == 台湾の新竹に生まれる。子供の頃から身体が弱く、常に死を身近に感じていたという。子供心に台湾において「支配者としての日本人」を強く意識し、罪悪感を覚えていた。 青年期に思想家マックス・シュティルナーの主著『唯一者とその所有』の影響を受け、個人主義的アナキズムに強いシンパシーを抱きつつ、ウラジーミル・レーニンの著作『国家と革命』に述べられた国家の消滅に一縷の望みを託し、マルクス主義に接近、日本共産党に入党し、もっぱら地下活動(農民団体「全農全会派」のオルグ活動)に従事し、思想犯取り締まりのため1932年に逮捕された。検挙後埴谷は未決囚として豊多摩刑務所に収監され、形式的な転向によって釈放された。 獄中ではカント、ドストエフスキーから圧倒的な影響を受けたという(ロシア文学については早くから影響を受け思索を強めていたものの、この時期を経てドストエフスキーを第一に挙げるようになり、実際に多くのドストエフスキー論を著している)。
誕生般若 豊(はんにゃ ゆたか)1909年12月19日 日本・台湾新竹
死没(1997-02-19) 1997年2月19日(87歳没) 日本・東京都
墓地青山墓地
職業評論家、作家
言語日本語
国籍日本
最終学歴日本大学中退
活動期間1939年 - 1997年
主題小説、評論
文学活動第一次戦後派
代表作『不合理ゆえに吾信ず』(1950年)『虚空』(1960年)『闇のなかの黒
主な受賞歴谷崎潤一郎賞(1970年)日本文学大賞(1976年)藤村記念歴程賞(19
デビュー作『不合理ゆえに吾信ず』(1950年)
配偶者あり