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野火改版

大岡昇平

敗北が決定的となったフィリピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける…。平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的作品である。
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大岡昇平

大岡 昇平(おおおか しょうへい、1909年(明治42年)3月6日 - 1988年(昭和63年)12月25日)は、日本の小説家・評論家・フランス文学の翻訳家・研究者。 == 経歴 == 1909年(明治42年)3月6日、 東京市牛込区(現:新宿区)新小川町に父・貞三郎、母・つるの長男として生まれた。父貞三郎は和歌山市近郊の農家の三男で、昇平の生まれる前年上京して、兜町で株式仲買店に勤め、つるとの間には女児(大岡の5歳上の姉にあたる)がいた。一家には後に弟が2人生まれた。父の仕事の関係で家庭の経済状況には浮き沈みがあり、1912年(明治45年)春に麻布区笄町(現:港区南青山)に転居し、その後も数回渋谷近辺で転居を繰り返した。 大岡は読書が好きで、8歳ころから「立川文庫」や「日本少年」などを愛読していた。文学の道を歩んだのは従兄大岡洋吉の勧めがきっかけであり、1919年(大正8年)、「赤い鳥」に童謡『赤リボン』を投稿して入選を果たし、同年7月号に掲載された。北原白秋は『赤リボン』に対して「音楽的で面白い」という選評を寄せている。
誕生1909年3月6日 日本・東京市牛込区(現:東京都新宿区)
死没(1988-12-25) 1988年12月25日(79歳没) 日本・東京
墓地多磨霊園
職業小説家
言語日本語
国籍日本
教育学士(文学)
最終学歴京都帝国大学文学部仏文科卒業
活動期間1949年 - 1988年
ジャンル小説文芸評論
主題日本史太平洋戦争
文学活動第二次戦後派
代表作『俘虜記』(1949年)『武蔵野夫人』(1950年)『野火』(1952年
主な受賞歴横光利一賞(1949年)読売文学賞(1952・1989年)毎日出版文化賞