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四十一番の少年

井上 ひさし

児童養護施設に入所した中学生の利雄を待っていたのは、同部屋の昌吉の鋭い目だったー辛い境遇から這い上がろうと焦る昌吉が恐ろしい事件を招く表題作ほか、養護施設で暮らす少年の切ない夢と残酷な現実が胸に迫る珠玉の三編。著者の実体験に材をとった、名作の凄みを湛える自伝的小説。

井上 ひさし

井上 ひさし(いのうえ ひさし、1934年11月16日 - 2010年4月9日)は、日本の小説家、劇作家、放送作家である。文化功労者、日本藝術院会員。本名は井上 廈(いのうえ ひさし)。1961年から1986年までの本名は内山 廈(うちやま ひさし)。遅筆堂(ちひつどう)を名乗ることもあった。 日本劇作家協会理事、社団法人日本文藝家協会理事、社団法人日本ペンクラブ会長(第14代)などを歴任した。晩年は自身の蔵書を収蔵した遅筆堂文庫を造り、運営した。(後述) 先妻は西舘代志子。
誕生井上 廈(いのうえ ひさし) (1934-11-16) 1934年11月
死没(2010-04-09) 2010年4月9日(75歳没)[1] 日本 神
職業小説家劇作家放送作家
国籍日本
教育学士
最終学歴上智大学仏語科
活動期間1964年 - 2010年
ジャンル小説戯曲随筆
代表作『ひょっこりひょうたん島』(1964年 - 1969年、人形劇)『手鎖心
主な受賞歴岸田國士戯曲賞(1972年)芸術選奨新人賞(1972年)直木三十五賞(1
配偶者西舘代志子(1961年 - 1986年)
子供井上都(元こまつ座主宰)井上綾(編集者[2])石川麻矢(こまつ座社長)
親族井上マス(実母)米原章三(義祖父)米原昶(岳父)米原万里(義姉)