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懐中時計

小沼丹

物語は、フランス語の授業中に机にうつぶしてイビキをかいている広瀬小二郎の姿から始まる。やがて広瀬は友人・杉野正人からある女性の東京案内を頼まれる。「妙齢の美人かもしれないぜ...」。軽快な語り口でキャンパス・ドラマの幕が開く。広瀬、杉野、石橋渡、洞口謙介の大学生四人組は、一台のおんぼろ車を後生大事に運転する“ガラ・クラブ”の仲間でもある。このぼろ車で夏休みはどこへ行こう?まずはベラミに集合せよ。ロード・ノヴェルも快調に走り出す。舞台は大学のキャンパスから信州の善光寺へ、さらに蓼科の高原へと展開する。天下無類の山野百合子女史、豪放磊落なベラフォンテ和尚、謎の美女吉野玲子と、多彩なキャラクターも登場...。爽やかな筆致のうちに、健康で明朗な学生たちの姿をいきいきと描いた、小沼丹異色の青春ユーモア小説「風光る丘」九百余枚。「懐中時計」刊行一年前に上梓されながら、作品集・全集に未収録の幻の長篇、四十年ぶりの復刊。
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小沼丹

小沼 丹(おぬま たん、1918年(大正7年)9月9日 - 1996年(平成8年)11月8日)は、日本の小説家、英文学者。本名は小沼 救(おぬま はじめ)。日本芸術院会員。 「大寺さんもの」など、日常を題材とした小説のほか、随筆の名手としても知られる。また、英文学者としても知られており、早稲田大学では文学部教授として教鞭を執った。 == 経歴 == 東京府東京市下谷区下谷町に父邁(すぐれ)、母涙子(るいこ)の長男として生まれる。明治学院中学部、高等学部英文科を経て、1942年(昭和17年)に、早稲田大学文学部英文科を卒業した。後年、1958年(昭和33年)から、母校早稲田大学文学部で教授を務めている。
誕生小沼 救(おぬま はじめ)1918年9月9日東京府東京市
死没(1996-11-08) 1996年11月8日(78歳没)
職業小説家・大学教授
言語日本語
国籍日本
教育学士(文学)
最終学歴早稲田大学英文科
活動期間1939年 - 1996年
ジャンル小説・随筆・評論
文学活動第三の新人
代表作『村のエトランジェ』(1954年)『懐中時計』(1969年)『椋鳥日記』
主な受賞歴読売文学賞(1970年)平林たい子文学賞(1975年)
デビュー作『千曲川二里』(1939年)