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高丘親王航海記

澁澤龍彦

澁澤龍彦没後30年。遺作となった伝説の傑作幻想小説が、いま新たな装いで! 平城天皇の皇子に生まれ、嵯峨天皇即位すると皇太子に立てられるも、父上皇と天皇との諍い(薬子の変)により廃された高丘親王。出家し弘法大師の直弟子となった親王は、東大寺大仏の再建に尽力するなど重要な働きを果たすが、晩年に至り朝廷に入唐求法の願いを出し、唐へ渡った。 親王の真の願いは、幼き日に父帝の寵姫藤原薬子に教えられ、憧れていた天竺を訪れることだった。 貞観七(865)年正月、高丘親王は唐の広州から海路、天竺へ向かった。鳥の下半身をした女、犬頭人の国など、怪奇と幻想の世界を遍歴した親王はやがて旅に病み、その心に去来したものとは……。 無類の面白さと、静かなる気品に満ちた傑作幻想小説。著者の死後に読売文学賞が与えられた。 高橋克彦さんの傑作解説も再収録!

澁澤龍彦

澁澤 龍彥(しぶさわ たつひこ、本名、龍雄(たつお)、1928年(昭和3年)5月8日 - 1987年(昭和62年)8月5日)は、日本の小説家、フランス文学者、評論家。 別名のペンネームに澁川龍兒、蘭京太郎、Tasso S.などがある。晩年の号に呑珠庵、無聲道人がある。 == 経歴 == === 誕生 === 東京市芝区車町(現在の東京都港区高輪)に澁澤武・節子の子として生まれ、埼玉県川越市、東京市滝野川区中里(現在の東京都北区中里)に育つ。父の武(1895年 - 1954年)は銀行員。母の節子(1906年 - ?)は実業家で政治家の磯部保次長女。渋沢栄一やその孫の渋沢敬三と遠戚にあたるが、龍彥の家が澁澤家の本流(東の家)で、栄一や敬三の家は支流(中の家)である。
誕生澁澤 龍雄(しぶさわ たつお)1928年5月8日 日本 東京府東京市芝区
死没(1987-08-05) 1987年8月5日(59歳没) 日本 東京都港
墓地浄智寺(神奈川県鎌倉市)
職業小説家、フランス文学者、評論家
最終学歴東京大学文学部フランス文学科
活動期間1954年 - 1987年
ジャンル評論、随筆、翻訳、小説
配偶者矢川澄子(1959年 - 1968年)澁澤龍子(1969年 - )
子供なし
親族澁澤幸子(長妹)渋沢道子(次妹)矢野眞(義弟、道子の夫)坂斉万知子[2]