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法王庁の抜け穴改訳

アンドレ・ジード/石川淳

アンドレ・ジード/石川淳

石川 淳(いしかわ じゅん、1899年(明治32年)3月7日 - 1987年(昭和62年)12月29日)は、日本の小説家、文芸評論家、翻訳家。東京府浅草区生まれ。無頼派、独自孤高の作家とも呼ばれ、エッセイでは夷斎と号し親しまれた。本名淳(きよし)。 == 生涯 == === 生い立ち === 東京市浅草区浅草三好町(現在の東京都台東区蔵前)にて銀行家で東京市会議員、共同銀行取締役の斯波厚(1869年-1931年)[1]の次男として生まれる。祖父は漢学者で昌平黌儒官の石川省斎で、省斎により6歳から論語の素読を学び、淡島寒月より発句の手ほどきを受ける。父の厚は幕臣だった石川家から札差を営んでいた斯波家へ養子に入っていたが、次男の淳は石川家を継ぐため1914年(大正3年)7月、養子に入り家督相続人となった。1905年(明治38年)、精華小学校に入学し、4年時に精華小学校の制度改制にともない旧制新堀小学校(現在の台東区立台東中学校)に編入し、1911年(明治44年)、旧制京華中学校(現在の京華高等学校)に入学、中学時代は和漢の古典、江戸文学、漱石や鴎外を愛読した。
誕生1899年3月7日 日本・東京市浅草区(現・東京都台東区)
死没(1987-12-29) 1987年12月29日(88歳没) 日本・東京
墓地上川霊園
職業小説家
言語日本語
国籍日本
教育学士
最終学歴慶應義塾大学予科、東京外国語大学
活動期間1935年 - 1987年
ジャンル小説
文学活動無頼派(新戯作派)
代表作『普賢』(1936年)『焼跡のイエス』(1946年)『紫苑物語』(195
主な受賞歴芥川賞(1937年)芸術選奨(1957年)日本芸術院賞(1961年)読売
デビュー作『佳人』(1935年)