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そうかもしれない

耕治人

八百屋や魚屋に買ったものを忘れてくるようになった。それがはじまりだった。五十余年連れ添った妻が脳軟化症を病み、けんめいに介護する夫もがんにたおれる。貧窮と孤独のさなかで過酷な運命にさらされた老夫婦におとずれた至上の愛を描く。「天井から降る哀しい音」「どんなご縁で」そして感動の絶筆「そうかもしれない」にいたる不朽の名作3篇を収録。

耕治人

耕 治人(こう はると、1906年8月1日 - 1988年1月6日)は、日本の小説家・詩人。本名の姓は、「たがやす」と読む。 熊本県八代市生まれ。明治学院英文科卒。千家元麿に師事して詩作を始め、1930年(昭和5年)『耕治人詩集』を上梓する。 戦前の1937年(昭和12年)から川端康成を頼り、1939年(昭和14年)7月には、『文學界』に初めての小説を載せてもらうなど世話になっていた。 戦中の1945年(昭和20年)3月に、左翼思想犯として逮捕される。 戦後、主として私小説を書き始め、長く不遇だったが、1970年(昭和45年)に『一条の光』で読売文学賞、1972年 (昭和47年に『この世に招かれてきた客』で平林たい子文学賞受賞。