教師 宮沢賢治のしごと
畑山 博
大正一〇年から一五年まで、宮沢賢治は故郷・花巻の農学校で教鞭をとった。当時の教え子たちの心には、いつまでも色褪せることのない“賢治先生”の姿が生き続けている。公式だけでは絶対に解けない代数の問題。生徒たちを二班に分けて競わせた英語のスペリング競争。土壌学の授業では地球の成り立ちをまるで詩のようにうたいあげ、肥料学では、一枚の細胞絵図から生命の記憶を説き起こす。そして、生まれたばかりの『風野又三郎』や『春と修羅』の作品群を生徒たちに朗読して聞かせたという国語の授業ー。知られざる宮沢賢治の教室が入念な取材でよみがえる。