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アラビア太郎

杉森 久英

その男、山下太郎は、満洲で莫大な財産を築くも、敗戦ですべてを喪った。しかし、戦後復興の核となる石油を欧米資本に依存している現実を危惧し、69歳でアラビア石油を創業。世界から“山師”と揶揄されながら、中東で「日の丸油田」を見事打ち立てたー。日本近代興亡の中で成功と没落、再興を成し遂げた、忘れられた破格の豪傑・山下太郎を、『天皇の料理番』著者が描ききる!

杉森 久英

杉森 久英(すぎもり ひさひで、1912年(明治45年)3月23日 - 1997年1月20日)は日本の小説家。 == 略歴 == 石川県七尾市の公務員の家庭に生まれ、金沢市で育つ。石川県立金沢第一中学校から第四高等学校を経て、1934年(昭和9年)に東京帝国大学国文科卒業。地方公務員(公立学校教員)となり、旧制埼玉県立熊谷中学校(現在の埼玉県立熊谷高等学校)の教師となった。 教員を退職後、中央公論社編集部に入社。編集者という職に自信を失い退職後、大政翼賛会文化部、日本図書館協会などを経て、戦後河出書房に入り『文藝』の編集に従事。1947年『文藝』編集長に就任。 1953年デイヴィッド・ガーネットやフランツ・カフカの影響が色濃い短篇小説『猿』が芥川賞の候補になったのを機に作家専業となる。