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いばら路を知りてささげし

井出孫六

大村藩の有力藩士の長女として生まれた筆子は、明治初期の近代的女子教育を受け、ヨーロッパでの生活も体験する。彼女は前半生においては、華族女学校での教育や大日本婦人教育会の創設などに積極的にかかわって、日本の女子教育の確立に大いに貢献する。だが、一転、後半生は、己を棄てて、二人目の夫石井亮一とともに、日本における最初の知的障害児の教育と福祉に捧げる。津田梅子ら錚々たる人々と親交を結び、ベルツ博士や法学者ボアソナードからも一目置かれた稀有な一近代女性が目にしたものとは何だったのか。陰影に富むその八十四年の生涯を綴る。

井出孫六

井出 孫六(いで まごろく、1931年9月29日 - 2020年10月8日)は、日本の小説家、ルポライター。 == 来歴・人物 == 長野県南佐久郡臼田町(現佐久市)出身。旧制東京都立九段中学を経て東京大学文学部仏文科卒。政治家井出一太郎、医学者井出源四郎は兄、評論家の丸岡秀子は姉、厚生大臣などを務めた井出正一は甥、衆議院議員の井出庸生は甥の子。 中・高校教師、中央公論社に勤務した。中央公論社を1970年春に退職する。中央公論社退職後、永山則夫連続射殺事件(1968年発生 / 警察庁広域重要指定108号事件)に関心を抱き、1970年末に犯人である同事件夫被告人・永山則夫に面会、さらに弁護士から永山が獄中で綴ったノートを見せられて内容に驚き、その出版を企画する。永山の獄中手記は1971年3月に『無知の涙』として刊行され、永山の作家としてのデビュー作となった。
生年月日 1931年9月29日
没年月日 (2020-10-08) 2020年10月8日(89歳没)
出生地 日本 長野県南佐久郡臼田町(現:佐久市)
国籍 日本
学歴 東京大学文学部
職業 小説家
活動期間 1969年 - 2020年
親族 丸岡秀子(姉)井出一太郎(兄)井出源四郎(兄)井出正一(甥)