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阿修羅

玄侑 宗久

妻は三つの「わたし」を生きていた。交叉する人格に対峙する、夫と医師。それぞれの「わたし」という物語はいかに紡がれたのか?幾つもの人格が解離し、しかも同居する心。日本でも増えつつある解離性同一性障害という心の病いに、文学は救いの手を差し伸べられるのか?記憶と意識、情念と無意識の深い闇に挑んだ畢生の傑作。

玄侑 宗久

玄侑 宗久(げんゆう そうきゅう、1956年4月28日 - )は日本の小説家、臨済宗の僧侶。福島県在住。東日本大震災復興構想会議委員。 == 経歴 == 福島県三春町にある臨済宗妙心寺派福聚寺の長男として生まれる。カトリック系の三春幼稚園、地元の小中学校を経て福島県立安積高等学校卒業。この間モルモン教、統一教会、天理教などに触れる。小学校3年の頃、いずれ来たるべき「死」を想って毎晩のように泣いた。また中学3年で罹った日本脳炎のため、3日間の昏睡状態を経験。