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劉廣福

八木義徳

謀叛に失敗し島に流された男が、絶望のなかに新たな人生の境地を見出していく菊池寛の『俊寛』。巨大な体躯に釣り合わぬ童顔、工場に新たに雇われた男はうまくしゃべることもできなかったが...。忍耐と誠実でついに絶大な信頼を勝ちとっていく男の物語(八木義徳『劉廣福』)。異国で燈台守となった老人は四百段以上もあるらせん階段を上り下りする孤独な仕事に精励するが...。一瞬の油断がまねいた悲劇(シェンキェヴィチ『燈台守』)。運命の波に襲われた人間たちの生き方。
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八木義徳

八木 義徳(やぎ よしのり、1911年(明治44年)10月21日 - 1999年(平成11年)11月9日)は、日本の小説家。日本芸術院会員。 == 生涯 == 北海道胆振国室蘭郡室蘭町大字札幌通4丁目(現在の室蘭市中央町1丁目)に、父・田中好治、母・八木セイの次男(庶子)として生まれる。父の好治は山梨県東山梨郡春日居村(現在の笛吹市春日居町)の出身で、東京帝国大学医科大学を卒業し、義徳が出生した時点では町立室蘭病院(現在の市立室蘭総合病院)に務めていた。名医と評判であり、その後独立して室蘭市内に田中病院を開業している。一方、母のセイは青森県東津軽郡油川村(現在の青森市大字油川字大浜)出身で、小樽市の海産物商の養女となるが養家が没落し、室蘭で芸妓となり田中好治と知り合った。戸籍上は人力車業の村松和四郎・タセ夫妻の子として記載され、生まれてすぐに沖仲仕の小頭内海初三郎・ヨネの家に乳飲み子として預けられ、3歳まで育った。婚外子という出生は、義徳のその後の人生に大きく影響した。
誕生(1911-10-21) 1911年10月21日北海道胆振国室蘭郡室蘭町
死没(1999-11-09) 1999年11月9日(88歳没)東京都町田市
職業小説家
言語日本語
国籍日本
最終学歴早稲田大学
活動期間1934年 - 1999年
ジャンル小説
代表作『劉広福』
主な受賞歴芥川龍之介賞菊池寛賞